ヤングマハラジャ種種人の花

種種

人への旅

最初は裸の女性だった。蓮の花を描いた壁の前に立っている。
2枚目は階段の手すりにつかまった髪の長い女性。サングラスをしている。
1枚置いて結婚式の花嫁。ブーケを持っている。
次はカラーで、電話をかけている若い男性。
誰も僕の知らない人だ。知らない人が次々登場してくる。
有名人でもない。失礼ながら特別に美男美女というわけでもない。しかし、妙に存在感がある。
なぜか、わからなかった。
感動とも少し違う。衝撃でもない。
たぶん最初から1枚ずつ、被写体の一人ずつが、少しずつ僕の胸を打ち、ボディブローのように効いてきたのかも知れなかった。
本多元の写真展『種々』の初日だった。
こんなことは、長い間半ば職業として写真展や美術展を見てきた僕にとっても、ほとんど始めての経験だった。

1991年夏、僕たち、本多君と彼の仲間たちは、ジャマイカ、モンテゴベイにいた。
そのころ中南米を撮っていた僕は、モンテゴベイのレゲエの大会「サンスプラッシュ」に行く本多君たちと合流することになったのだった。
「われわれはニューヨークで待っています。ホテルは取っておきます」
本多君たちは、写真学校最後の夏休みだった。10日前にもうNYへ出発していた。僕は、追いかけて、乗り継ぎのための一晩だけのNYとなった。
その名も覚えている。「ワシントン・ジェファーソンホテル」は、9丁目を入ったところにあった。
タクシーの運転手が「ワーストプレース」と何度も言った。大丈夫かい、お上りさん、と言いたかったのだろう。そのころのNYをご存じの方は、8丁目から先は無法地帯であり、ふつうの旅行者の行くところではなかったことをおわかりだろう。
ホテルに入っていくと、猛烈なマリワナの匂いがした。一週間60ドルの部屋で、(1晩でも60ドルだった)うるさく震えるクーラーの前で着替えていると、本多君たちが帰ってきた。
そして、今そこでホールドアップに遭って、20ドル取られた、と言うのである。そして笑った。
そのときの、ふつうの人に普通に出会ったような、あっけらかんとした笑いに僕はひどく驚いたのだった。
モンテゴベイでは、共同で借りたガレージの上の6人部屋を基地に、写真展を控えていた僕は、結構まじめに写真を撮っていたが、本多君は、どこへ行っていたか、いつの間にか消え、現れた。(写真展にコメントを寄せていた河上朋弘氏も同様だった。河上君はその後、富山・慶集寺のとても良い和尚となった)。

その後本多君は、時折り「キューバへ行って来ました」とか、「マニラで」とか言って写真を見せてくれた。いずれも貧しい国の子供たちが中心で、ヒューマンなドキュメントの写真だった。

そして、何年か後に「種々」を見た。
写真が変わっていた。
「種々」は、友だちから友だちへ、家族から知り合いへ、その知り合いの家族へと続いていく。
隣同士の写真の人物は何のつながりもないようで、しかし、独特の緊張感でつながっている。
写真の中の総勢56人が、僕の胸を打つ。

本多君は、多くの旅をしてきたようだ。
それは、地域を巡る旅でもあったが、たとえばディスコティク華やかなときのDJだったり、バーを経営したり・・・、多くは迷子の旅だったに違いない。
しかし、本多君の旅は、結局は人から人への旅だったのか、と思う。
人が好きで、人が嫌いで、人から人へ、細くて切れそうな入り組んだつながり、それを写真でつなげたのか。
それが本多君の写真を、つまり「本多元」を変えて行ったのだろう。
そしてさらに、人の中へ、いっそう深い旅を続けて見せて欲しいと思う。

写真家   石黒健治

あの写真が、きっとはじめて撮った写真。鎌倉の切り通しに佇む少年。その目線の先には一点の光。あれはいつ頃のことだったんだろうか?時が流れ大人になった。鳴り続けるシャッター音。フィルムに焼きつけられた記憶。折り重なる写真の層。なぜ私は人を撮り続けるのだろうか?撮ること、生きること、それは瞬間。瞬間の積み重ねが時間。まるで波にただよう一艘の船。いったい私は誰を捜しているのだろうか?出会い。すべては仕組まれた運命。自分の運命。そして人それぞれの運命。

「種種」という作品は2003年3月一人の友人の死をきっかけに6x6のカメラで撮りはじめた写真です。その出来事は私に深い悲しみとショックをあたえ、写真に対する関わり方も大きく変えてしまったような気がします。どこか死を身近なものに感じてしまったのです。過ぎ去った時間。もう後戻りはできない。今撮るべきものが解ったような気がしました。足下を見つめよう。なぜならそれが私の生きる世界の全てなのだから。「種種」それは人々の種をさがす旅の記録です。私は時に、土地には人を引き付ける何か磁場のようなものを感じることがあります。その何かに呼ばれるように私は土地を巡り人々に会う。一期一会。そこには,出会いと感動、別れと哀しみ、そして美しさがありました。そこでたくましく生きる人々。私はレンズを向け収める。これらの写真が私の発信するささやかなメッセージ。未来への希望なのです。感謝そして合掌。それぞれの人々に本当の花が咲くことを祈って私の「種種」の旅はまだ続きます。

写真展「種種」の開催にあたりまして、御尽力頂きました私の恩師でもある写真家の石黒健治氏と 慶集寺僧侶の河上朋弘氏、デザイナーの谷口勝也氏、ON TAKE PHOTO FACTORYの方々に感謝を捧げます。

本多 元